わたし、やまもとの日記

ブログ書いてみたかったんだって

休みの日を待たなくなっていたお話

 

 

 

電車で隣に座っている女性が

膨らみのある空気をぼとりと落とした

 

 

 

その形のないかたまりからは

ぶどうの匂いがした

すこしアルコールが含まれている

 

 

 

仕事をすこし遅くまでしていた私には

すこし不快だった

 

 

ただ、誰も悪くない

 

 

自分の人生だ、

自分の決めたことは

全て全くその人にとって等しく正しい

 

 

 

 

この人は、休みを待っているのだろうか

 

 

 

 

東京にきてから、

休みを待たなくなってしまった

 

 

 

 

特に何もしてないからかもしれない

 

 

 

人によっては何もしないことが

最高の休みかもしれないし

最低の休みかもしれない

 

 

 

 

受け容れ方の違いである

 

 

 

突発的に頭の中に出てきた話を書く

こればかりは仕方がない

かっぱえびせんみたいなものだ

止まらない、止まるが

 

 

 

 

 

改札

 

 

 

 

 

こいつの狂いっぷりは

半端ないなと思う

 

 

 

 

 

産まれた時から人を受け容れ受け容れ

また受け容れる

 

 

たまったもんじゃない

 

 

そりゃあ、たまにむしゃくしゃして

人を止めたくもなる

 

 

 

私も今日その憂さ晴らしに付き合わされた

 

 

 

Suicaを認識されなかったのだ

ただ、人過多なこの東京でそんなことは

鍛え抜かれたこの改札たちは

特に渋谷の精鋭の改札たちは

満を辞さずとも私を通してくれた

 

 

 

人によっては阿婆擦れと呼ぶかもしれない

断固として私は気怠げと呼びたい

 

 

 

ただ、いつもと違ったのは

偶々駅員さんも

何でもかんでも受け容れたくなっていたことだ

 

 

通れなかった私は素直に通れませんでしたと

告げると、

 

 

 

いいっすよ、通っちゃって

 

 

 

タメ口なのが非常に刺さった

 

 

 

 

そんなこんなで向かった大門駅では

前職の同期が研修をしていた

 

 

 

 

久しぶりにあの無駄ばかりの研修時の日々を

語り合いたいものである

 

 

 

そんなこんなで日を跨ぐ

 

 

私が今日は本当に今日なのか

1秒の定義通りに世界は進んでいるのか

そんなことを考えている横で

渋谷の若者は今日もアスファルト

座り込み、なくなる記憶をつくっている