わたし、やまもとの日記

ブログ書いてみたかったんだって

不可逆性のお話

 

 

 

 

 

もう、無理なのである

 

 

 

 

 

 

彼ら彼女らは、戻ることはできないのである

 

 

 

 

 

渋谷の若者たちだ

 

若者、という言葉に複数形を表す意味があれば

誰かに八つ当たりされた一斗缶みたく

視界が歪むことになるかもしれない

 

 

とても好きな友がいる

 

彼となぜか緑地公園で遊ぶことになり

私はなぜか10キロ離れている家から

走って向かうことにした

 

彼は俗に言う厨二病なので

彼とは宇宙の話を、量子の話を少しばかりした

小説の話も

 

そんな彼は年末の大阪の深夜の

相席屋の男女比の人数看板を指差し

気持ち悪いな、とこっちを見て笑って言った

 

その時は理解ができずに

2週間程毎日考えてやっと理解ができた

 

 

上の話はその話なのである

34peopleだっただろうか

 

 

 

 

この話が渋谷の若者たち、

割いては不可逆性の

お話に繋がるかはわからない

 

 

フリックを始めると後戻りはできないのだ

 

 

 

 

不可逆性のお話にはつながったことにしよう

 

 

まだスマートフォンを持ち始めた頃である

ウォークマンで音楽を聴きながら走った

大阪のゆるく心地よくベタつく空気の中を

 

 

京橋のコムズガーデンに行きたい

我々のランドマークだ

 

 

 

渋谷にいる若者もどうだろうか

 

 

 

我々のような時間の過ごし方を

したのではないだろうかと思う

 

ただ、もう戻れないのだ

 

 

 

お互いをお互いで偶像崇拝している

相互的な偶像利用は世界でも

類を見ないのではないだろうか

 

 

 

 

 

そうなると発端は誰なのか

 

 

 

そもそも人なのか

 

 

 

 

空気感やグルーヴなのか

 

 

 

 

はたまたモノなのか

 

 

 

流行語が何処から始まったのかが

分からないように既に知る術はない

 

 

 

 

しかし彼ら彼女らの歯車は

がっぷり四つで噛み合い

太古の時代から回り始めている

 

 

 

逆回ししてしまうと記憶を失ってしまう

なかったことになってしまう

否定してしまう

 

 

 

 

渋谷は止まらない

 

 

 

 

止まれない

 

 

 

 

災害がある中で、ハロウィンがどうだの

知ったことではない

 

これは批判しているわけではない

 

もう、止まらないのだ

 

 

 

自律的な統制はもう無理なのだ

自分たちでどうにもできない

このがっぷり四つを解く行司はいない

解があるとすれば、唯一解しかない

 

 

 

伝統、通過儀礼はどのように変わるのか

見ものである

 

 

 

暴走列車から降りるには、

漫画でもアニメでもない限り

勿論、飛び降りるしかない

 

 

 

ひょいと

 

実は簡単なのである