わたし、やまもとの日記

ブログ書いてみたかったんだって

善いお年を、と伝えるお話

 

 

 

 

 

今を生きる

 

 

 

 

 

 

昔はあまりこのフレーズは好きではなく

もちろんこの言い方をしているのは

今は若干肯定的な考え方ができているからで

 

 

以前まではそれはどこか刹那主義的な何かが

こちらをちらりと垣間見ているようで

 

 

高校の古典のおじいちゃん先生が

刹那主義的ですね、と口の端に唾液を溜めて

話していたことを思い出すし

 

 

 

好きな小説の

死んでるみたいに生きたくない、と

実在もしないジャック・クリスピン曰く

から始まるセンテンスに溺れて

 

 

 

 

どこか苦手だった

 

 

 

 

少し世渡り上手に感じる部分に

嫉妬していたのかもしれない

 

 

 

 

そんなことを考えながら

地元に帰る飛行機に乗っていた

右手にはあまりにも熱いオニオンスープ

 

 

 

 

勿論、俗世間的な

江夏詩織がたまらなく可愛いなあとか

ペット飼いたいなあとか

クリスマスが今年もやってきてしまったなぁ

こんなことも考えている

 

 

 

 

ただ、やはり少しばかり

少し先の愉しみに想いを馳せ、

心地良い心臓のダンスに身を委ねている

 

 

 

身が心臓に委ねているのか

自分でコントロールできるこのリズム

エイトビートは中学生を思い出す

 

 

そんなことはどうでもいいし

真上から吹き下ろす空調の風が心地いい

 

 

 

これがないと、

真空パックに詰められている感覚になる

 

 

 

人間にとってそれぞれある程度の不快感は

生きる上で必要だと

前に進むために必要だと

こんなところでも感じる

 

 

 

 

心地良い不快感をある程度

セルフ負荷出来る人程、強いものはない

 

 

 

 

常に超回復をしている

 

 

 

 

ただ、憧れは

「あまりにも水」であるということ

 

 

 

空空していたい

 

 

日本人で良かったなあとつくづく思う

 

 

 

これを、うつらうつら、と

 

 

 

2019年、色んなことができたと思う

2020年、色んなことをさせてください

 

 

 

2019年会えなくて、

伝えられなかった人へ、善いお年を

 

 

 

おはよう、

そして念のためにこんにちはとこんばんは