わたし、やまもとの日記

ブログ書いてみたかったんだって

1人で瀬戸内国際芸術祭に行った話

 

初めて真面目に、言葉を連ねようと思う

 

そして継続してみようと思う

 

 

何かを自分の意思で

続けたことはあまりないかもしれない

 

 

 

 

ない

 

 

 

 

だから自信がない

 

句点が嫌いだ

 

終わってしまう気がする

何が終わるかはよく分からないが

 

1人でいることは意外と好きだ。

 

色々考えながら歩いた

色々なアートを見た、観た、満た

 

2日目は微かな希望を持っていたものの

地中美術館に行けなかった

 

モネの睡蓮を感じることができなかった。

 

地元の親がヤンキーみたいな子供のまま

育ちましたみたいな風貌の人が

切り盛りしている民宿ふうちゃんで

レンタルした自転車で山道を下っていた

 

目に当たる風が青かった

 

通過する景色の中に

一際、らしい場所があった

 

場所、を打つ前に、空間、という言葉を

うったがそんなものではない

 

空間という言葉が苦手だ

正直よくわかっていない

 

話を戻すと、そこは

 

モネの睡蓮そのもの、だった

 

 

思わず涙が出そうになった

最近涙腺がゆるい

消費期限だろうか

 

感動と後悔、である

 

 

余程複雑な顔をしていたのか、

実は先ほど山を下っている時に通り過ぎていた

草の手入れをしている初老の人に

声をかけられた

 

 

 

君は今、何をみていました?

 

 

 

今でもまだ疑わしいが

本当にそのおじさんはそう私に言ったのだ

素直に、

 

 

 

モネの睡蓮を

 

 

 

と口にすると

この言葉を使うことになるとは思わなかったが

ひまわりのように笑って

 

 

 

そうだと思ったよ、君はそれをみている

間違えてないよ、それをみている

 

 

大事に大事に、2度ほど

 

 

 

それをみている

 

 

とはっきりと言葉を零してくれた

2回目は私には向いてない言葉のように

感じたため零してくれたと表しているのだ

 

 

 

アートはみただけで終わりじゃないんだよ

写真に収めて終わりじゃないんだよ

その人がどういう想いで

それを作ったのか、そこまでいかなくても

何を想うのかが大事です

そうなるには実際のものを

リアルで感じることが1番なんです

モネというのは印象派なんだけれども

印象派というのは、

あなたは分かるかもしれませんが

簡単に言えば記憶、です

モネは白内障でした

モネはこれを描いた時にはこの状態で

みえていません

これはモネの記憶なんです

私はそれを表現したかったし

あなたのように感じて欲しかった

 

 

 

私はそれを表現したかった?

 

 

 

結論からいうとこの初老のおじさんは

私の目の前にある、それを手入れしている

庭師であった

彼はフランスに行き実際にモネがみた池を

手入れしている人から学び

これを作っていると言う

 

 

彼の言葉の続きになるが、

こう続けた

 

 

睡蓮の葉は秋になるにつれて

葉の縁が茶色になるんです

あなたにも実際の絵をみてほしかったけど

モネの作品の中の睡蓮の絵の中には

そこまで描いているものもあります

その記憶もあるんです

 

 

振り返ると、島の至る所に

作品と同じ情景が点在していた

 

 

これからよりそういった歴史も

知ったうえで愉しみたいと思えた

 

とても善い1日だった

 

 

 

瀬戸内国際芸術祭は、3年に1度のリアルだった

 

 

句点のついている文は全て嘘だ